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演劇雑誌テアトロ 3月号(2001)
特集「2000年舞台ベストワン・ワーストワン」より
ベストワン人形劇「まほろばのこだま」の精妙 岩波 剛(一部抜粋)
これは世紀末、大文字で声高に叫ばれた文明論、未来学などの対極にひっそり位置している。副題「ののさまたちが目を覚ます」の「ののさま」も、はや死語になったろうか。
草花の精、山の精の花鬼、河童、座敷わらし、烏天狗など愛すべき異界の生きものや魔もの、いたちや狼などの動物が、ふかぶかとした闇から立ち現われ、地を這い、宙を飛び、争い、遊び戯れる。客席の若者たちは奇怪な、うねりをもって現前するマカ不思議な世界に誘われ、息をのんで見つめていた。
まず人形の作りが凝りに凝った異形さ、愛らしさをもつ。それが出遣いの操り手によって、まこと命を吹き込まれたように活躍する。地蔵によりそうススキの穂のそよぎ、いたちのゆるやかな背のびなど、細部にこだわる精妙な動きがこの劇をいきいきさせる。
ラスト、踏み迷って雪野に倒れ伏した少年が、野の生きものの息吹に助けられるように、朝日とともに立ち上る景は、人形でしかありえない写実的な繊細な動きを見せ、極度に写実であることで抽象にまで高められていた。
その動きの静けさは、雪狼、雪女郎が音もなく宙を蹴り、宙を舞うダイナミックな流線図像によって強化され、幻想から現実への移りゆきも美しい。聞けば、人形の作り手で操り手でもある二人だけの一座だというが、人形芸術への深い傾倒、自分らの仕事を信じている、その強度を感じさせる舞台である。
わらべ唄の響きがいい。そこには一言のメッセージもないが、トータルに観る者の心に届くものは確かである。
急速な都市化、デジタル記号、メタリックな機器、それらに囲まれた高度技術社会が排除したもの、かつて日本人の想像力が産み出し、いま失われようとしているものへの驚き、共感ではないだろうか。このように感じるのは、ぼくの心の弱まり、あるいはノスタルジーに過ぎないだろうか。内なるもう一人のぼくはその感受性に批判的だが、狭いとはいえ六行会ホールを連日満席にした若者たちの輝く目が、そうではないと告げていた。
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かわせみ座と高畑勲 夢のカップリング! 〜高畑氏のコメント〜
なぜ「かわせみ座」と一緒にやろうと思ったのですか?
「ひとつは、かわせみ座の舞台が面白かったから。ほんとうに生きているとしか思えないので、終わって人形が置かれると、死んだのではないかと思わず、溜息が出てしまう。人形が生き生きしていることに感心しました。そして、もうひとつは、今回の「まほろばのこだま」が"日本の何か"を伝えようとしていること。昔は、肌で感じていたなにかを、今では忘れかけています。人々の生活は変わってしまったけれどその「なにか」をもう一度蘇らせたい、ということに共感したので」
「まほろばのこだま」はどんな舞台ですか?
「一般に人形というと、西洋の妖精などが向いているようですが、そういうきれいなイメージだけではなくて、"人間のまわりにいそうなものたち"がたくさん出てきます。日本の、例えば、鬼とか河童とかというものは、恐いだけの存在ではなかった。もちろん恐いんだけれど、それはからかいの対象だったり、親しみのある存在だったりして、うそだとは思ってないんだけれど、信じてもいないというような・・・。
"もののけ"というのは、その名前のとおり、"気配"だから、いのちの気配というか、この世に生きているのは人間だけではないぞ、という"こだま"たちの姿をあらわしていきたい」
人形劇というと、子供向けと思われがちですが・・・?
「大人とか子供とかのワクで括るのではなくて、良い作品というのは表現がちゃんと、観客の心に届くものを言うのだと思う。表現されていることに心を奪われるかどうか、だけが問題なはずです。」
タイトルの「まほろばのこだま」とは?
「目にはみえないけれど、人間のそばにいつもいるのが"こだま"です。この"こだま"は、さびしかったり、哀しい存在として描かれています。人間は、本当は、いつもなにかに見られている、と思っていたほうがいいですよ。
かわせみ座はいままでにも、「まほろば」として日本の伝説、民話をモチーフに河童や烏天狗といった"もののけ"が登場する作品を発表してきました。
かねてよりスタジオ・ジブリの高畑氏の構成・演出を熱望していた山本と益村がお願いしたところ、かわせみ座の世界に共感された氏がご快諾下さり、2000年10月に「まほろばのこだま」として生まれ変わりました。
「平成狸合戦ぽんぽこ」などを手掛けた高畑氏の、失われていく自然や、"もののけ"たちへ向けられる温かい眼差しは、かわせみ座の精巧な人形と優れた技術の魅力を十二分に引き出し、観客席を静かな感動で包み込みました。そして六行会ホールにて上演された本作品は、千年文化芸術祭にて入選作品賞を受賞するなど高い評価をうけました」 |
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月刊よみがえる 2001年9月号
今月のひと アニメ界の巨匠が人形劇に挑戦
「もののけ」をテーマにしたセリフのない人形劇に高畑演出が磨きをかける
高畑 勲 映画監督
『火垂る墓』『おもひでぽろぽろ』などを手がけ、アニメーション監督として名高い高畑勲氏が、「かわせみ座」というユニットの人形劇に構成・演出担当として参加している。伝説や民話に登場する生き物、精霊、魔物や自然そのものが主役の『まほろばのこだま』がそれだ。
初演は昨年十月の六行会ホール(東京都品川区)。今回は東京での再演となる。 人形劇というと、子供のものという先入観を持つ人も多いだろうが、「かわせみ座」は山本由也の作る個性的で存在感があり、独自の構造を持つ人形を、超越した操作が産みだす自然かつ繊細な動き、演技力によって、むしろ大人たちの絶大な評価を受けている。その「かわせみ座」から「『まほろば』をまとめたいので手伝って欲しい」と切望され、引き受けたいきさつを高畑氏はこう語る。
「かわせみ座の舞台を見たのは十年ほど前になりますが、その操作性、表現力の高さに正直びっくりしました。人形劇であろうが何であろうが、今回のテーマである『もののけ・気配』はとても難しいジャンル。それは大変な挑戦なのです。その挑戦をお手伝いしようと思ったわけです」
あくまでかわせみ座が主、高畑氏は自分の役割を「かわせみ座らしさをより引き出すこと」だと言う。
「僕は人形については素人。でも、そんな人間が関わることにはそれなりの意味があると思ったのです。セリフのない『かわせみ座』の人形劇は観る側に集中力を求める。そこに素人であり愛好家である視点からアドバイスができれば、より広がりを持ったわかりやすい表現が完成するのではないか。素人の立場だからこそ、磨ききれていない部分を磨く事ができるのではないかと」
常にスタッフの持つ力を最大限に引き出し、生かすことを大切に作品作りをしてきた高畑氏らしいスタンスだ。 「もののけたちは、人間の想像が生み出したんですよね。そういう関係を思い起こしてもらうためには、人間が必要だと考えました。そこで、現実の女の子を二人登場させたのです」
わらべ唄を意識的に多用したり、場面が途切れずなめらかにつながるようにするなど、臨場感、実在感を強く描き出しているのも高畑氏の手によるところだ。
『まほろばのこだま』には、河童、烏天狗、雪女、座敷童子などが登場する。目には見えないが、時には人間にいたずらをし、警告し、見守ってきた「もののけ・気配」たちである。昔から私たち日本人が常に意識していた存在が、今薄れつつある。
「生活の中で感じていた『気配』を呼び覚ましたい」と高畑氏は言う。 かわせみ座と高畑勲のコラボレーションによって、もののけたちは、よりリアリティーを持った身近な存在として、新たな感動を伴い登場するだろう。
取材・文/渡辺 美和 |
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Theater Guide 2000年11月号 平成12年10月2日発行
「まほろばのこだま―ののさまたちが目を覚ます―」のかわせみ座
「あぁ、生きている…」かわせみ座を初めて見たとき、あまりに自然で、自由に動く人形達に興奮したのを覚えている。烏天狗、河童、鬼、座敷童子など、言葉を持たないキャラクターたちが次々と登場しては、詩のような物語を紡いでいく。表情や動きはひょうきんだったり、悲しげだったりさまざまだが、彼らが動くだけで、飾り気のない舞台はたちまち懐かしい夢の世界へと変ってしまう。それらの人形を創作し、操作する人形師・山本由也と益村泉は、気配さえも消した黒子であり、文字どおり彼らを操る魔法使いでもある。
新作『まほろばのこだま』では、二人のたっての希望で、アニメ映画の第一人者、高畑勲監督が演出を引き受けてくれた。それは、高畑氏が手がけてきた「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」などといった作品と、共通する何かを感じたからだろう。
「人形が非常に素晴らしいんだけど、それだけじゃない。彼らの作品は、日本人が暮らしの中から生み出した精霊たち、つまり僕らの身の周りにいるかもしれない存在を題材にしている。昔から人びとが感じてきた気配、それから風土を愛する心といったものを今の時代に伝えたいと思ったんです。ポケモンのような漫画のキャラクターではなく、本当にいたんだよ、という感じをね。そういう仕事ってすごく大事な気がするから」
これまで人形のみの小品集を上演してきたが、今公演は、「子供」役の役者を登場させる事で、人間との関係を通して精霊という存在を明確に描くという。
「人形劇って子供の情操教育の手段になっちゃってる。でもアニメもそうだけど、作るのは大人ですし、そのときは子供のことなんか忘れてますから(笑)。かわせみ座の舞台も、大人と子供の区別はありませんよ」
高畑は細い目をさらに細めて、笑った。 |